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2005年12月20日
ホテルシップヴィクトリア
元青函連絡船で、長崎港で余生を過ごしている
ホテルシップ・ヴィクトリアこと「大雪丸」が本日で営業を
終了しました。
大雪丸は、2代目津軽丸型連絡船として昭和40年に就航。
摩周丸、八甲田丸、羊蹄丸らの僚船とともに昭和63年の
青函連絡船廃止まで(厳密に言うと大雪丸は一足早い
引退だったが)活躍した、とても由緒ある船体です。
ほかの船たちがメモリアルシップとして地元で保存されたり、
海外に売却されていくなか、大雪丸は「東京ホテルシップ」という
会社に引き取られ、千葉県浦安で海上ホテルとして営業するべく
船内の改造が行われました。しかし、計画は頓挫。
引き取り手もなく、長い間横浜のドックに係留され続けます。
そして平成8年。長崎のある企業がこの船を買収しました。
この会社の社長はホテルの船を持つのが夢だったそうで、
大雪丸は長崎港で「ホテルシップ・ヴィクトリア」として第二の
人生をスタートさせます。長崎の街並みは造船所や異国の
雰囲気が函館と良く似ており、外観が変わったとはいえ、
大雪丸は長崎の風景のなかにすっかり溶け込んでいました。
しかし平成16年、大雪丸を取り巻く状況が大きく変わり始めます。
船を所有していた親会社が経営破綻、ホテルは売却されて
しまうことになりました。運良く、外資系の企業が引き取って
くれたのですが、この会社はわずか1年という短い期間で
ヴィクトリアの廃業を決定させてしまいます。
廃業の理由は、海底に土砂が堆積し居住性が悪くなったため
・・・と報道されています。しかし、もともと船に宿泊していると
いうのは分かっている事だし、営業を断念するほどクレームが
付くとは思えません。かつての青函航路ならいざ知らず、静かな
湾内の、それも潮の満ち引きから来る垂直移動だけな訳ですから。
実は、定期的に海底の土砂を取り除く必要があるのはホテルの
開業時から分かっていた話なんだそうです。年月が経ったら船を
ドックに入れ、海底をしゅんせつして船体の補修作業もおこなう。
元の所有会社はたぶん計画していたんだろうけど、その時期が
くる前に会社が破綻してしまった。引き取った企業は船に愛着
なんかないだろうし、ましてや歴史的遺産としての価値なんか
見いだすはずもない。大規模なメンテの費用対効果を考えれば、
そんな面倒な施設はさっさと捨ててしまおう、というのが本当の
理由ではないかと思われます。
最初から捨てるつもりだったのかどうかは分かりませんが、
経営が変わっても、ヴィクトリアの「イマイチ感」は変わらなかった
ような気がします。安くない料金設定、利用しにくい飲食施設、
そして宣伝不足。現場の方々は努力されていたのでしょうが、
ただでさえ供給過剰の長崎のホテル業界、老舗旅館やホテルが
次々と廃業していく中、生き残っていくのはやはり厳しかったん
だと思います。
加えて、これは少々反省の意味も込めてですが・・・。
私たち長崎市民もこの船に少し冷たかった気がします。地元と
結びつきのない青函連絡船にいまいちピンと来ないのは仕方
ないにしても、もっとこの船を応援してあげればよかった。
ホテルの経営が危ないのであれば、例えば行政が動いて、
ここ数年大々的に行われてきた長崎港の整備事業の中に
組み込んで展示施設として活用するとか、考えられる策は
色々あったと思うのですが・・・。
大雪丸は商社を通して既に買い手が付いており、来月一杯で
今の会社の管理を離れ、新天地へ向かうことになるそうです。
出来れば国内で余生を過ごして欲しいけど、もしかしたらもう
会えないような遠い所へ旅立ってしまうかも知れません。
10年前、スクラップ寸前で奇跡の復活を遂げた幸運の船。
第3の人生もどうか、幸せでありますように。
投稿者 ji6opt : 2005年12月20日 22:45